プログラミング教育必修化 ー先行実施まで1年2ヶ月
12月21日の中教審答申では、プログラミング教育に関する有識者会議の「議論の取りまとめ」(6月16日)を踏まえ、プログラミング教育を行う単元については、各学校が適切に位置付け実施していくものとし、総合的な学習の時間をはじめとする各教科等での「プログラミング教育実施例」を別紙3−2において極めて簡単に明記している。
学校現場は、これをどう理解し対応したらよいのか。
「このような記述だけでは、何も分からないしできるわけがない」という反論は容易であるが、私は学校現場に大きなチャンスが訪れたと理解している。学校現場の事実が21世紀を切り拓く新しい教育実践を創造し、教員がカリキュラムデザイナーとしての自覚と誇りを取り戻すチャンスであると。
本校では、今年度ビジュアル・プログラミング言語を活用したプログラミングの授業実践を積み重ねてきたが、そこで得られた知見をもって各教科等での「学び」に生かそうとする取り組みも始まった。そのような授業実践の具体的事例を紹介し、皆様からのご叱正をいただくことでより魅力ある授業実践を創り出し、もしお許しいただけるのなら日本全国の多くの方々との交流を図っていきたいと切望している。ご一読いただき、皆様のプログラミング授業実践の参考になることがあれば、それは望外の幸せである。
⚫️ 第2学年 国語
「ビスケットで漢字を学ぼう!!〜かん字の広場」(1/3時間目)
2017年1月19日(木)1校時(8:40~9:25)
◯プロローグ
授業研究の指導案が担当教諭から手渡され、そこに記載されている単元名を見て驚いた。
「ビスケットで漢字を学ぼう! 〜かん字の広場」
声には出さなかったが、驚きと嬉しさとそして心配とが入り混じった複雑な感情が沸き上がってきたことを今でも覚えている。本校では計画的にプログラミングの授業実践を行ってはいるが、総合的な学習の時間に年間20時間を確保しているのは、当然時間設定のある3年生以上の学年だ。1、2年生は中学年への移行を視野に、2学期から教育課程外の位置付けでアンプラグドな活動(絵本「ルビーの冒険」のアクティビティ、ロボットビークル「PETS」)や2年生でタブレットを活用したプログラミングを多少行ってきただけである。
確かに2年生は11月に実施した学習発表会の朗読劇「スイミー」で、舞台演出としてViscuitで描いた動く背景をプロジェクターで映し出したり、同じく11月に実施した学校公開に向けて子どもたちは直接に開発者である原田先生に手ほどきを受けたりはしていた。
12月8、9日と私が総務省の「プログラミング教育事業推進会議」の委員として徳島県神山町へ視察に訪れた際に、偶然にも同じ委員である原田先生と一緒になり、そこで大分県臼杵市立福良ケ丘小学校の竹林先生の実践を紹介いただいた。学校に戻り、全校朝会で視察の様子を子どもたちに話した際にViscuitを活用した漢字学習を紹介したが、担当教諭はその時はじめてViscuitで漢字を学習できることを知った。たった一ヶ月ほど前のことである。(毎日新聞「デジタルで学ぼう」2017.1.24)
また2学期末に2年生の他学級で1時間、私が早速に子どもたちと一緒にViscuitを活用した漢字学習を実施した。しかし授業者は、その授業を参観してはいなかった。今回、授業者となった教諭の年次研修における指導案作成に関わって私は全く関与していなかったし、プログラミングを活用した授業実践も正直、期待はしていなかった。だから複雑な感情が沸き上がったのだと思う。
授業の前日になってしまったが、原田先生へ2年生がViscuitで漢字学習を行うメッセージを送ったところ、翌日デジタルポケットから渡辺さんが来校され、授業場面毎のViscuit活用における様々な工夫をご示唆いただいた。
◯授業の展開と子どもたちの様子、そしてトラブルと
8時40分、始業時刻に渡辺さんと教室へ行くと、まさに授業が始まろうとしていた。黒板には既に「空」という漢字が貼られ、次いで担任は半紙に墨で書いた(当然台紙に貼ってある)「山」という漢字を子どもたちに示した。
「どうやって書くの?」と書き順を尋ねると、子どもたちは各々利き腕をあげ人差し指で空中に「山」という漢字を書き始めた。小学校では、よく見る授業風景である。そこで担任は、自身がViscuitでプログラミングした「山」の書き順を大型モニターに映し出す。子どもたちからは、「お〜」との声とともに「分かる!」との声も挙がった。子どもたちは既に数時間Viscuitを活用したプログラミング経験があるから、その仕組みが分かるのだ。
Viscuitは、めがねというフィールドが用意され左右のレンズ箇所に絵(部品)を入れるのだが、左と右の差分がプログラムとなって絵(部品)が動く。子どもたちはこのことを理解しているから「分かった」という声を上げた。Viscuitを活用した書き順の具体的なプログラミングの仕方については、デジタルポケットのビスケット開発室に詳しく記載されているので、是非是非参考にしてほしい。
子どもたちの反応を見てすかさず担任は、黒板に白のチョークでめがねを描き、プログラミングの仕方を説明した。「山」という漢字の①書き順ごとに部品をつくり、②それを一つ一つ順番にめがねの左右に配置していく。「山」という漢字は画数は3だから、めがねの数は2つのプログラムできることを確認して、本時の学習のめあてを黒板に貼った。
「ビスケットで書きじゅんをプログラミングして、かん字を楽しくおぼえましょう」
早速、タブレットを活用して一人一人の活動に入った。
本時では、子どもたち一人一人にプリントが配布され、「青、空、右、左、竹、休、足、公、出、上、下、力、名、子、男、女」の漢字16文字を練習することが示されていた。基本この時間の学習は一人学習ではあるが、机の配置は5人程度のグループの形となっている。漢字の書き順が分からなければ教わったり、逆に教えたり、タブレット操作に躓けばお互いが助け合って学習を進めていく。
(左)本時のめあてが貼られた黒板
(右)活動に入る子どもたちとプログラミングする漢字を貼る担任、Viscuit画面を確認する渡辺さん
順調に授業が展開しそうな時ほど、必ずトラブルが発生する。
○トラブルその1(通信系)
幾つかの端末が、Viscuitサイトにアクセスできない。よく見ると普段繋がっているWi-Fiが切れていた。再接続の仕方を伝えると子どもたちはすんなりと操作して、学習に戻っていった。しかしWi-Fiに繋がっても、Viscuitサイトへのアクセスが遅い端末も出てくる。この場合は再起動することで、ほぼほぼ解決することが分かっている。もしかしたらWEBブラウザの問題かもしれない。だとしたらWEBブラウザを変更すればよい。
情報端末を活用した授業では、この通信系トラブルの問題は必ずつきまとう。だから「活用できない」というのではなく、使用場所の環境や情報端末のくせそして環境との相性を経験的に把握しておくことで、指導者も子どもたちも自然とトラブルシューティングに慣れていく。それを面倒だと感じるか、それとも情報端末を活用することでアダプティブな環境が用意でき、そのことで子どもたち一人一人の学習への意欲と集中が高まることに意義を感じるかが、ICT教育推進の大きな分岐点となっていると思う。
○トラブルその2(ハード系)
今回はもう一つ、担任が漢字の書き順をプログラムした作品を子どもたちに見せようとした時に起きていた。担任はその作品をViscuitのサーバーフォルダに保存していたのだが、そのフォルダには既に多くの作品が保存されていた。端末は全てのデータを読み込もうとして時間がかかり、結局、担任は読み込みを断念した。この時担任は、その場で漢字の書き順プログラムを作成し、それを大型モニターに映し出しトラブルを乗り切った。参観した私は、この対応に素直に感動した。普段から情報端末を活用しているからこその対応であり、「情報端末を積極的に活用しよう!」という私の経営方針を理解し実践していることの証左だったからだ。
これを見ていた渡辺さんからは、授業ごとに新しいフォルダを作成してそこに作品を保存すればよいことを教えていただいた。Viscuitでプログラム(作品)を作成し、それを保存して有効活用することは、今回の授業に限らず当たり前のこと。それをViscuitで行う技術を学べたことの意義は計り知れない。
○トラブルその3(学習指示)
さらに個々の活動に入った時に、多くの子どもたちは活動に取り組み始めたが、数名の子どもは何をどうしてよいのかわからず、困惑していた。活動内容と方法が十分に子どもたちに伝わらなかったことが原因。だが、Viscuitで個別の活動に入る前に活動を一度シミュレーションさせる方法がある。担任が全員で練習する漢字を事前に決めておき、その書き順を部品として配置したものを作品として保存しておけばよい。そこに子どもたちがアクセスして、メガネに部品を配置する具体的操作活動を体験させる。最後までプログラムを実行させ、漢字を完成させるにはメガネの右側に配置した部品が、ちゃんと次のめがねの左側に配置されていなければならないことが理解できる。担任がViscuitの取り扱いに習熟することで見えてくる指導法の一つである。
*「休」の書き順をプログラムする子ども
◯ 個人差への対応
とても魅力的な授業であったからこそ、情報端末を活用した授業での最大の課題が浮き彫りになった。もちろん個人差への対応である。当日の指導案「指導上の留意点」には次のように記載されており、担任はこの課題に対して何とかして対応を図ろうとしていたことがわかるが、適切な打開策は見い出せていない。
・各グループで1人ずつにそれぞれ違う漢字を割り当て、責任をもってその漢字の書き順を正しくプログラミングする学習に挑戦できるように意欲をもたせる
・楽しかったことやわかったこと、できるようになったことを発表しあい、次時や新出漢字の学習への意欲をもたせるようにする
上記を読んで、「何故、書き順練習を行う16文字の漢字をそれぞれグループメンバーに割り振ろうとしたのか」を問うたところ、情報端末によって個の学びの最適化(アダプティブ)が保障されるゆえに、課題に対応できる子どもはどんどん先へ進み、そうでない子どもとの差が拡大することへの懸念があった、と言う。何故、課題に対応できる子どもが先へ先へ進んでいってはまずいのだろう。そうでない子どもとの差が拡大することはそんなに問題なのか。
基礎・基本の確実な定着を図ることをねらいとするなら、本時は「16の漢字の書き順プログラムを正しく作成することができる」という評価基準(規準?)が設定される。課題に対応できる子どもは、評価基準をクリアすればその先の課題を担任が用意しておけばよいのだし、そうでない子どもには個別のフォローアップをする。
30人から40人の集団での授業では、全ての教科等の「学び」において個人差は頑然と存在する。それは解消できるものではなく、情報端末が子どもの「学び」のためのツールになればなるほど、差は拡大していく。
その事実に担任が困惑するのは、学校で「学ぶ」意義(意味)との葛藤である。本来「学び」は学習者一人一人のものであったのが、工業化社会を背景にマスの教育手法(一斉・画一・到達基準等)が採用されたことによって根本的な矛盾を孕んでしまった。そしてその矛盾を孕んだまま、次期学習指導要領では協働的な「学び」の意義が強調される。確かに一人で「学ぶ」だけでなく、仲間との対話を通して多様な見方・考え方があることに気付き、それに触発され自らの考えを深化・拡充することができる。このような場が拓けるからこそ、学校の存在意義がある。
しかし勘違いしてはならない。30人〜40人の子どもたちが全体(全員)で協働的に「学ぶ」ことは幻想である。一人一人の子どもの学習内容への習熟と興味関心、学び方や友達との関係性がベストマッチしてはじめて協働が意味あるものとなるのであって、現行制度のもと教員が一人で協働的な「学び」を学級全員に対してオーガナイズすることはほぼほぼ不可能だと思う。情報端末が活用されるようになってはじめて、一人一人の学びが最適化され、それが可視化できるようになって、個人差の問題が集団での「学び」における大きな問題として私たちに突きつけられたのだ。この視点を欠いたアクティブラーニング論はアクティブチーチングを助長し、子どもたちの「学び」を表層的なものとする。絶対に!
子どもたち一人一人に豊かな「学び」を保障するには、現行制度においては3つ程度のグループ化によって対応するのが現実解だと考える。そしてそのグループづくりも学習内容に対する習熟の程度によるのではなく、子どもたち一人一人の学び方や友だちとの関係性をもとに編成されるものであろう。習熟度より、むしろその時々の学習内容への興味関心と学び方を重視した編成がより望ましいかも知れない。発達障害傾向があり特別な支援を必要とする子どもたちが通常学級には6%以上も在籍している。WISC Ⅳでは「言語理解」「知覚統合」「ワーキングメモリー」「処理速度」の4つの指標で子どもたちの認知特性を把握して、一人一人の「学び」方における合理的配慮の重要性を訴えている....。
乱暴な言い方に聞こえるかも知れないが、自分で課題解決したいと思う子どもにはどんどん先へ進ませればよい。問題解決学習を形式(定式)化して集団解決をさせようと、グループ等で解決方法を表層的に考えさせることなどする必要はない。挙手して解決策を発表する子どもは、既にその解を知っている。
課題を一つ一つ丁寧に確認しながら、時には友だちと話し合って「学び」を進めたい子どもたちのグループと学習内容によっては興味が湧かず、また理解も不十分な子どもたちには個別的に教えることが、その子どもたちの「学び」には必要である。
今回の授業で言えば、16の漢字についての「書き順をプログラミングする」という課題を提示した後、ある程度時間(3分程度)をとって個々に課題に取り組ませ、そこでの自身の状況をメタ認知させた上で、所属するグループを自己決定させる。
グループ編成ができればそれぞれ活動へ移るが、この先活動だけをさせるのは芸がない。魅力的な授業には、リズムとテンポとキレがある。特にキレは、物語で言う起承転結の転にあたり、自分たちの活動を見直しを迫り、それが深い「学び」へとつながっていく。
残り15分。「書き順プログラム」のデバックをさせてみたい。書き順をプログラミングした作品の間違いを指摘させ、修正させる。担任がそれを作成しても良いし、先へ進むグループの子どもたちに作成させ、皆で問題を解くのも面白い。デバックはプログラミングで学ぶからこその学習活動だ。
今回の授業ではこのデバックは行わなかったけれど、とても興味深い子どもたちの様子を看取ることができた。様々な事情で配慮を要する子どもが自分のペースで課題に取り組み、書き順について前の席の子ども(女子)と楽しく会話している。単純な書き順の命令では面白くなかったのだろう、中には部品に触れば次の部品が出てくるように工夫したり、キャラクターを加えたゲーム感覚なプログラムを作ったりしている子どももいた。
「服薬を忘れ、空腹のまま午前中を過ごすこともままある子どもが、何もしない普段と違って、タブレットと紙(プリント)を併用しながら課題に取り組んでいた。その姿がとても印象に残っている」との担任のコメントがこの活動の魅力を物語っている。この授業を参観する限り、この学級に多くの合理的配慮の必要性のあることを感じることはできない。情報端末のAssistiveでAdaptiveな機能を、担任が本当に上手く活用していたからだ。
一人一人の子どもが自身で学習を振り返り、「できた」「わかった」「もっとやってみたい」と「学び」への意欲を喚起できれば、それは最高に素敵な授業であり、「ビスケットで漢字を学ぼう! 〜かん字の広場」はそれに値する授業であった。
◯ エピローグ
このBlogでは、現在「こどものミライ」サイトで連載中の「校長のプログラミング授業日記」(http://kodomomirai.com/)ではなく、教員が行う、しかもプログラミングを活用した教科等の授業参観記録を綴ろうと思う。この積み重ねが第4次産業革命に対応すべき授業実践革命へ道程だと考えている。
初回は教科等の学習にプログラミング学習で得た知見を生かして取り組んだ事例として、Viscuitでの漢字学習の様子を紹介したが、メインは具体的なプログラミングの仕方よりも情報端末を活用する授業が孕む幾つかの問題に言及することになった。特に個人差の問題は、情報端末が今後子どもたちの学びのツールになればなるほど、大きな問題として私たちの前に立ちはだかってくる。プログラミングを(、)学ぶ授業実践で得た知見を活かし、教科等をプログラミングで(、)学ぶ授業は、実はこれまで私たちが当たり前だと考えていた授業にかかわる様々なフレームを自覚的に問い直す試みである。思考的にも、精神的にもこれはかなりきつい、そして苦しい試みであることは覚悟の上、これを乗り越えなければ、授業実践革命なんて起こらないし、起こせない!
今後どんな展開になるのか。その時々、どんな課題が立ちはだかるのか。次回、掲載のメドは今日現在(2017.2.5)立っていない。掲載は全くの不定期であり、今回のように「これだ!」と感じた授業を参観した時に、Blogを綴っていこうと思う。本当に積み重ねができるのか。
1年経ってこのBlogの量と質が本校がめざす授業実践革命の評価だ。